人の世に熱あれ、人間に光あれ2012/03/04 02:17

Lech Majewski監督の映画"The mill and the cross"
(邦題:「ブリューゲルの動く絵」)においても描かれているように、
Peter Bruegelの描くキリスト教的宗教主題の焦点はしばしば絵の焦点
からはずれた位置に設定されている。一般に事象に対する焦点の
むけ方は、その事象に対する関心の高さ、ひいては重要性を示唆する
ものと考えられるがゆえに、見方を変えれば、焦点からのずれは、
その焦点の向けられなかった事象への関心の低さを一方で示唆して
いると捉えられなくもない。
 しかし、事柄の本質的側面はその時点・その現場においてではなく、
時の流れの中で事後において意味づけられ、形作られ、顕かになって
ゆくものであると考えるならば、象徴的であるべきものでありながら
描き手によって視点を外された事象は、決して関心の外に留め置かれ
たのではなく、焦点を当てられた事象との関連において、その事象に
媒介された形で位置づけなおされたと観ることもできるのではない
だろうか。
 このようなことを改めて思ったのは、3月3日が水平社宣言の90周年
にあたるとの報道を耳にして、webであたってみたところ、この宣言の
重要性は言うまでもないことながら、現在における位置づけが当初
からあったのではなかったという再評価の記事が部落解放・人権研究
所のページに掲載されているのを目にしたからであった。
 今日に至る運動の本質的側面を象徴するこの宣言文は、その運動
が本質として普遍性を帯びて人類的視野で展開される具体的活動と
なった現在において、より焦点を向けられる事跡となってきたといえる
のではなかろうかと、まだまだ寒さが予想されるものの、陽の影は短く
なり、気づけば手袋を外してしまっていることの多い、益々春の感じら
れるここ数日の空気の中で考えた。

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